意味がないと思っていた過去のできごとも、時間が過ぎれば過ぎるほど、出会う人の数が増せば増すほど、それが意味のあるものだったと気付かされる未来が確かにあるということ。
今日は、ちょっとここ最近、自分の周りや中で起きた変化を書いていきたい。
今、ようやく仕事が落ち着いてきて、なんとかその日を乗り切るだけの知性と体力はある。
それが評価につながっているとは思えないけど、今まであったひどいできごとも今日、この日を生きるための一つの手段になっているから、頑張ってやってきたことが無駄じゃないと日々実感する。
それで、今、私の周りにいる人たちは、ほとんどが女性。
私は、男性と関わると自分が壊れるってことを知っているから、すごい安心していられる。
それで、その女性なんだけど、みんな誰かのお母さん。
そのお母さんに触れると、母の痛みとか苦しみ、しんどさが流れ込んでくるときがある。
想像だけで泣いてしまう。すごい辛いだろうな。人の親っていうのは。
だって、自分の身をそがないといけないから。
嫌だとか、逃げたいとか、しんどいとか、そういうことを言いたくても言えない我慢している人たちがたくさんいる。
旦那さんの給料がたくさんあれば良いけど、そんな家庭って少ないから、毎朝、料理して、仕事行って、旦那さんの話を聞いたり、子供たちと話したりと自分の時間がないってくらい忙しい。
それがないと暮らせないからって聞くと、母というものは、なんて強いんだろう。なんて痛々しいんんだろうってなる。
だから、余計に、自分が女であることが嫌になる。男だったらもっと女性を守れるんじゃないか?って思えるから。
自分の周りにいる男性陣は頭が良いけど、それで食べていけるほど、強い人はいない。
女性が男性をサポートして、ようやく収まるって感じ。
だから、余計に、考えてしまう。自分に何ができる?何が動かせる?って。
自分には何もない。ただ言葉を知っているだけ。ただ本を読んでいるだけ。
たまに新発見があるけど、それで誰かを助けられるなんて思ってない。
ちっぽけな自分。
でも、そんなゴミみたいな、カスみたいな自分でも、良いよって、大丈夫よって言ってくれる人がいる。必要としてくれる人がいる。
すごい嬉しい。
だからこそ、良くなろう、頑張ろう、もっと上手になろうって思える。
泣いてどうしようもない、もう無理って思えるときもある。でも、安心させてくれる場所がある。帰れる場所がある。
男性もそうなんだろうなって思う。安心して帰れる場所があるということ、そういう場所を求めているんだと思う。落ち着いて眠れる場所。
そんな当たり前の場所があるってことに気付けないのはどうしてだろう?満ち足りているからだろうな。
誰かがいなくなる悲しみを知った人は、誰かがいてくれたありがたみを知る。
その人がいなくなって初めて知ることがある。言葉なんてなんの意味もなさない。ただいてくれたということが残るだけ。
その後の人生は自分の力で生きるしかない。
どんなことがあっても、自分からは逃げられない。だったら、自分を良くするのも自分じゃないかって気付く。誰かのせいではない。自分が自分としていられる場所をみんな探しているんだろう。
その場所にたどり着くためには、様々な試練を乗り越えなきゃいけない。
その途中で命を落とす可能性だってあるのに。
でも、ようやくそういう場所にたどり着いて分かったことがある。
それは、私が知らない時代を生きた人がそこに確かにいたということ。
予備校時代、日本史を専攻した。その時、第二次世界大戦のことも勉強したけど、ただの言葉でしかなかった。
そこに感動とかはなかったけど、いざ、社会に出て色んな人と会うと、その時、いやいやながら勉強した知識が生きてくることを感じた。
例えば、沖縄返還とかいう言葉だけでも、そこに生きている人たちのことをリアルに考えれば良い。
アメリカの紙幣、つまり、ドルを使って生活していたこと。アメリカ兵がすぐ近くにいること。強姦魔がいたり、秘密基地みたいなところに行けば、缶詰が埋められていて、そこに、食べ物があるということ。
そういう話を間近で聞くということ。
これってなかなかできない。
平成生まれのゆとりが、初めて生きた言葉を知るということ、、つまり、これは、知るべくして知ったということなんだって思った。
どこの誰とも知らないその人に会えたということ、これは、かなり、奥が深い。
しかも、共通している言葉がある。知っていることがある。
すごい嬉しいって思った。
27年しか生きていない小娘が、64歳と出会い、話す。
仕事をともにする。
しかも、母が生きていた時代を知っている人だから、その時代をその人の口から聞ける。
ありがたいってこのことだって思った。
何が流行ったとか、何がなくて、何があったとか、その時の感動はこうだったとか、こんなことを知れたとか、そういう話を聞けて本当嬉しい。
知らない時代を知る。
母が亡くなったのは、57歳くらいだった。もう14年前のことをまた思い出そうとする。
ない未来をまた想像する。あの時、ちゃんと良い子にしていればなとか、ちゃんとあの人の言うことを聞いていればなって、後になってやれば良かったって後悔する。
そこからだったように思う。
未来に対して本気で考えるようになったのは。
嘘は通用しません。自分で自分をだますことができないように、自分からは逃げられません。さて、どうしますか?っていつも知らない誰かに言われているようで、こわい。
でも、そういう考えのもとで、母がきっとこうしてほしいと思うこと、たとえそれが自分にとって苦しいものでも飲み込む決心がついたように思う。
それがために生まれる縁も確かにあったということ。
自分の足で、自分の心で、自分の行動で、今までを作ってきた。
だからこそ、会える人がいたということ。確かに遠回りしたように思えるけど、でも、ちゃんと自分の中で育ってきたんだなって思う。
だって、みんな日々のしがらみの中で、幸せを感じたり、痛みを感じたり、もうどうにもならないって言って逃げ出したりしたい日をどうにか乗り越えているんだ。
だから、自分だけが不幸だなんてあまり思わないでほしい。
頑張ったからこそ、会える人がいるということ。
そこに確かにあるんだっていうものを探していってほしい。自分にしかできないことだから。
誰かの身代わりなんてできないのと同じで、誰かの人生を肩代りできるなんてことないんだから、自分でしっかり自分を見つめてあげていてほしい。
じゃないと、未来なんてつくれねーもん。