とても天然の先輩がいて、その方は、三児のお母さんなんだけど、昔、想像妊娠という言葉を聞いて、想像するだけで妊娠するんだ、だから、あまり考えないでおこうって本気で思っていたことを暴露してくれた。
その話を聞くたびに笑いがとまらなくなる。
っで、もし、例えば、私が妊娠したとして、お腹に子供がいることを考えたら、どんなことでもやってしまうような自分になるんだろうなってちょっと思った。
どんな手を使ってでも、育て上げてみせるって感じで、どんどん強くなっていくような気がする。
今まですっごいへたれだったけど、そんなことより、それが何?だから何?なんて思いながら、道を作っていくような気がする。
それで、今日、たまたま調子が悪くて、外にも出たくなかったんだけど、でも、もし、お腹に赤ちゃんがいたら、きっとぎりぎりまで何かをするんだろうなって思った。
今まで嫌がっていた勉強だってするだろうし、今まで苦手だって思っていたこともするんだろうな。
っで、もう私には頼れる人がいないから、どんなことがあっても、守り抜くしかないって思ってて、どんなことでもするって考えたら、おそらく、自分の持てる力、全部使って、最高の未来を描くために行動するんだって思った。
そう考えると、私の母も同じで、私や兄を育てるために自分を捨てて、本気で仕事して生きていたとしたら、私はなんて親不孝者なんだろうって思う。
もし自分が母だったら、自分の子供が弱くならないように必死に育てると思うんだ。自分のように不器用な生き方をしてくれても良いけど、その中にもちろん感動はあるけど、できれば、自分が望む道を自分の力で生き抜いてほしいって思う。
もう20歳も過ぎて、甘えて生きててなんかほしくない。ましてや30歳になるのに、ぶら下がってほしいって思う親なんているのかな?ってすら思う。
自分がもし、親の立場になって、言えることと言えば、自分の夢を持つこと、自分のやりたいことをやれるだけの力を身に着けて社会に出てくれることを望む。
だから、もう甘ったれないでくれ!って思うんだよな。だって、結婚したら、うまくいかないことの連続だし、相手も人間だから、うまくいっている状態が続けば良いが、そうとは限らない。病気になったり、ケガしたり、収入が減らされたり、相手の両親が認知症になったりして面倒を見ないといけない場面も出てくるかもしれない。そういうときに、耐えれるか?ちゃんと自分で切り盛りできるか?逃げずに戦えるのか?って考えたら、結婚なんて人生の中で最も危険でその後の人生を左右する最大のギャンブルだと思うんだ。
だから、幸せだって言っている人たちが不思議で仕方ない。最初だけなんだよな。そういうのは。
それで、じゃあ、独身時代にやっておくべきことは、自分自身を鍛えることだろ。
どんなことが起こっても耐えれる力を身に着ける。それだけ。逃げずに、苦手なことでも、必死にやること。それでしか、生きられない。
女の人も男の人にぶら下がるんじゃなくて、夫がいなくなってもなんとか食べていけるだけの仕事についていなくちゃ、この先、本当、生きていくのに困る。
誰かがなんとかしてくれると思ったら大間違いなんだよ。
自分自身の力で何もできない人が子供を育てられるわけない。答えを持っておかなきゃいけないのは、結局自分だったんだってあとあとになって思う。
男はだらしないし、いざって言うときに頼りにならない。じゃあ、自分しか頼れないだろ。つまり、家庭っていうのは、奥さんがしっかりしておかなきゃ、回らないってことになる。
結婚は幸せの始まりだって頭の中ではいくらでも妄想できても、実際、そうなることはない。
どっかで無秩序が生まれているから。
仏教でも言われているように、みんな、四苦八苦しながら生きてる。それだけは知っておいても良いとすら思う。