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社会と人間  朝鮮と近代国際秩序 


 日本が明治維新になったとき、朝鮮に向けてそれを伝える使節が送られた。しかし日本がその文書の中で、中国の皇帝にしか使えない「皇」の字を使ったりしていたために、朝鮮はその受理を拒否する。
 というのも冊封体制を基盤とする中国を頂点とした華夷秩序のなかでは、朝鮮は日本と同等の位置にあった。にも関わらず、日本が中国と同等にあると認めれば、朝鮮はそれより一段下になってしまうからである。

 そこで日本は清と条約を結ぶことで中国との対等関係を築き、その上で朝鮮と交渉すると言う方針にいたる。そういう意図によって結ばれた明治4年の日清修好条規は、清に不平等条約をおしつけようとしたが中国主導で結ばれたその条約にはそれは実現できなかった。
 しかし一応これによって日中間の対等性は確保されたので、日本はこれをもって朝鮮との交渉を始めようとする。明治5年1月、日本は使節を派遣するが、朝鮮側は国書の受け取り、面会を拒否した。

 これは日本側が蒸気汽船に乗ってきたことが「今まで」の礼に反するとして、それを拒否したというのが朝鮮側の言い分であった。しかし根本的にそのとき朝鮮の王位に就いていた興宣大院君(こうせんたいいんくん)は、頑強な鎖国派でもあったのである。そこでさらに同年9月、再び日本は使節を送るが、今度は軍艦に乗船して出かけている。
 この日本の態度に朝鮮側の感情は悪化し、使節は10日足らずで帰ってくることになる。朝鮮はこれを機に日本との通商を断絶し、国内でも日本排斥の機運が盛り上がることになった。ちなみに日本国内では、最初の使節団が返されたとき、その使節団は帰国してから征韓を唱えている。

 これは単純に言えば、それまでの華夷秩序を守ろうとする朝鮮と、そこから踏み出そうとする日本との間に生じた軋轢だったといえる。明治6年の副島種臣の清国皇帝との謁見は、欧米列強と同様の清国と同等の外交儀礼を貫いたことで、内外に日清対等をアピールする意味もあった。
 しかし朝鮮にはそれは間接的な影響に留まり、大きく事態を変えることはなかった。転換となったのは日本内部での明治6年の「征韓論政変」と呼ばれる政変によって、副島が野に下り、大久保利通が台頭してきてからである。大久保は反征韓論派だったので、なるべく温和に交渉を進めようという方針であると同時に、琉球問題同様、新しい国際秩序のなかに朝鮮を引き入れようと考えていた。

 同じ頃、朝鮮でも政変が起こる。強固に鎖国政策をとっていた興宣大院君が失脚し、その息子の高宗の嫁一族である閔(ミン)氏一族が実権を握ったのである。この事により朝鮮の外交方針は一変することになった。
 また明治7年には日本の台湾出兵の情報や、国内に巻き起こる征韓論の情報も入ることで、「日本が大軍を率いて朝鮮に攻めてくる」という噂まで立つようになった。この恐怖心が、対日外交を一時的に見直させる。

 こうしていったんは高宗の親政のもとで交渉が進むかに見えたが、朝鮮の国内で再び政変が起こり、また外交方針がそれによって変わることになる。朝鮮は再び、冊封体制を持ち出してくるのである。
 朝鮮が言い出したのは、「日本の国号に『大』という文字がつくのはおかしい」とか、「日本側の国書には清の年号を使いたい」とかいう要求だった。これは華夷秩序を意識した方針だった。

 これに対して日本は万国公法に基づく、一対一の対等関係を持つ国として、交渉を進めたいという方針だった。しかし交渉は遅々として進まず、日本は軍艦を派遣して朝鮮を挑発する方策に出る。明治8年(1875)、日本は予告なしに軍艦を釜山に乗り入れる。
 また同年、9月、今度は首都漢城(現ソウル)を守る江華水域に軍艦・雲揚号を乗り入れた。これに対して朝鮮側の江華島南端の砲台が砲撃、雲揚号もこれに応戦することになる。

 これが日本側の挑発行動であったかどうかは各説があるが、結果的には雲揚号は要塞を撃破。日本軍は上陸して、要塞建造物や民家を焼き払っている。朝鮮側の死者35名に対し、日本側の死者は2名とされる。この『江華島事件』を受けて朝鮮側の態度も軟化し、結局、明治9年、日朝修好条規の締結に持ち込むことになるのである。
 この条約の原文には、「大日本国~年、大朝鮮国~年」などと両方の国号の上に「大」をつけたり、またそれぞれの国の年号を並列するなどの工夫がなされた。ここで初めて日朝は、清を中央に置く三国関係ではなく、二国間関係になったのである。

 この事は実は国際社会のなかで大変、注目されていた出来事だった。このように朝鮮が条約を結ぶということは、前記したように朝鮮を「主権国家」として認めるということである。これは実は、クリミア戦争で被害を被ったロシアの南下を牽制する意味があった。
 そもそも日本がペリー来航の際に危惧されていたことは、ロシアがアジア進出して南下政策をとり日本を植民地化することだったのである。この日本のときと同じことが、十数年たってから朝鮮に対して同じような事態として認識されたということである。

 このように朝鮮が一国家として国際社会に出てくることは、元々、東アジアの中心だった中国の感情に揺さぶりをかけることになる。それは日本と中国の潜在的対立となっていく。そして日本が朝鮮に対して、どのような意図をもっていたかも考える必要がある。
 結果的にこの朝鮮をはさんだ中国と日本のにらみ合いが、後の日清戦争につながっていく。それを考える上では、近代化を進めようとしていた日本と、既存の冊封体制にこだわっていた中国、朝鮮との意識差は重要な問題だと思われるのである。
 この「意識の差」は、後の太平洋戦争にまでつながる重要な焦点となる。
 
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