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社会と人間  国学とその論理的展開

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社会と人間  国学とその論理的展開



 本居宣長はその国学の体系を作る過程において、先駆者の賀茂真淵といった国学者だけでなく、儒学者の荻生徂徠の影響も通過している。それは徂徠の論理を反転するような形で、その思想が形成されているという事だ。

 荻生徂徠は永きにわたる儒学の歴史に対して、根本的ともいえる疑念を呈した。日本では儒学につかう漢文テキストに、独特の「レ」点と言われる記号や、漢字の間を埋める振り仮名を打つ漢文訓読法というやり方で漢文を読んできた。
 しかしそういうやり方は本来の中国語を読むのとは違い、あくまで日本的な読み方である。それは「己が鏡」を見てるだけではないのかというのが荻生徂徠の批判だった。

 つまりそれまでの理解は「自己的」な理解であって、中国本来の理解ではなかった。「他者」の国の理論は、「他者」の論理で理解する必要があるというのが、徂徠の言ったことである。
 この「他者の国」という論理を、本居宣長は「異国(あだしくに)」と表現した。そしてそう表現した上で、宣長は徂徠のように「理解するため」ではなく、その「距離」を強調する論理として使ったのである。

 徂徠の思想というのは、儒学の根本である聖人、「先王」の真の意図を理解することにある。
「ああ、先王の思ふは深遠なり。千載の上にありて、すでに言語の教えの以て道を尽くすに足らざることを知る」

 これに対して宣長は、その「先王の道」なるものが怪しいと言い出す。これは「漢意批判」をした賀茂真淵の意向を、そのまま受け継いでいると言ってもいい。宣長は儒学の道徳論理を次のように批判する。

一、聖人… 古より国治まりがたくなも有りける。その中に威力あり智り深くて、人をなつけ、人の国を奪いて、また人に奪われる事量(ことばかり)をよくして、しばし国をよく治めて、後の法(のり)ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云なる。

 簡単に言えば、国は荒れていて、その中で武力と知略が優れていて、人の国は奪うが自分の国は奪われず、うまく国を治めた人間が後に「聖人」と言われるようになったにすぎない…ということである。
 これに続けて、宣長は「仁義礼譲考」等の儒学的道徳も、権力意志を持つ人間の恣意的な制作物にすぎないとか、所詮、そのような道徳理念は、「他国(ひとぐに)のさかしく言痛(こちた)き、こころしわざ」であって、「真心」には遠いとして批判するのである。

 このような「異国」に対して、「自国」的なものとして、宣長が取り上げたのが「倭意」である。それは儒学的「論理」に対して、『源氏物語』に代表される「物語」であり、道徳理念に対して「もののあわれ」という「情」だったのである。
 このように「非中国的なもの」として、「日本」が発見される。しかしそれは元から存在したものではなく、外部の否定による反照によって発見、あるいは捏造された「自国」である。しかし一端、発見された「自国」は、その後、「外国」を排斥する論理の根幹に居座り、あたかもそれが古から存在したかのような「神話」を形成する。

 神道は江戸期においても独自な理論体系を持たなかったが、その改革運動によって、儒学や仏教の影響を受けた垂加神道(すいかしんとう)などが独自の理論体系を形成するに至った。
 しかしこの「儒学」という「異国」の影響を受けた神道を、「不純」なものとして批判する動きが起きる。そして「純粋に日本的な神道」を、『復古』使用という動きが起きたのだった。これが『復古神道』の動きである。

 これを体系づけたのが、宣長の後を受ける平田篤胤であった。しかし篤胤はその理論体系を形成するにおいて、儒学、仏教はおろか、キリスト教の理念体系までも援用している。しかしこの復古神道こそが、古来からの日本の神道であるという論理が流通するようになった。
 この復古神道は「攘夷」という排外思想と結びつく。元々、「中国」をより理解しようとした論理は、「中国」を排斥する論理になり、それは「外国」を排斥し「自国」を称賛する論理へと変貌したのである。

 この復古神道の流れを引き継いだのが、明治維新政府に採用されることになった国家神道である。そもそも宣長は、中国では「道」を口にしても争いが耐えないのに対し、日本では「天皇」が連綿と続いてきたと指摘した。これが「日本」の、「中国」より優れているところであるという。
 このような論理を基盤に、天皇を中心にした国家体制を近代化という矛盾する社会変化の中に組み込もうとしたのが明治維新であった。そしてそれは太平洋戦争まで、一気に突き進んでいくのである。

 このような「外部の否定による自己の発見」の論理を、我々は現在も往々にして使用する。その「外部」が現在では、「西洋」だったり「イスラム圏」だったり、あるいは「田舎」や「近代以前」だったりするのである。しかし本当に、連綿と存在した「自己」なるものの姿だろうか?
 そこにはある種の、論理的欺瞞が付きまとっている。子安宣邦はこれを「宣長問題」と言っているが、それは過去、現在において、いまだアクチュアルな問題圏なのである。 
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