一昨日のことになるが、『爆門学問』に日本思想研究の子安宣那先生が出ていた。子安先生は「宣長問題」という形で、近代日本のナショナルアイデンティティの問題を江戸学から掘り起こして、そこから大変に素晴らしい研究をされた先生である。
ここで先生は「『日本』ってのは昔からあったんでしょう?」という太田に、「いえ、そんな事はありません」と答える。おもな論理は、僕が以前の日記のなかで一部書いたことでもある。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=898934642&owner_id=16012523
「日本人」という意識は近代になって言語が作られメディアが普及し、欧米列強という「外部」に衝突してから誕生したもので、それほど古い歴史があるわけではない。じゃあ「記紀」の頃には、「この国」の意識がなかったのか? ということだが、バラバラに存在する地方を「この国」としてまとめようした一つの試みが、まず記紀なのである。
しかしその「この国」も、住人が全て「国民」としての自覚を持つような意味での「日本」ではない。過去においてはその「この国」は緩い連続性にすぎず、薩摩だとが備前だとかいう地域名の方が、圧倒的に「自己の帰属意識」を形成していた。
沖縄出身とまでは言わないが、鹿児島あたりの古い人と話をすると、全く相手の「言葉」が判らないことを知ることになるだろう。以前は、各藩の言語というのはそれくらい異なっていたもので、どこへ行っても「日本語」が通じるなどということはあり得なかったのである。
それはそうと、太田が非常に無礼で、不快を通り越して腹が立った。
太田「じゃあ、先生は『日本人』じゃないんですか?」
先生「私は『私』という個人だと思ってます」
太田「それは世界市民というようなことですか?」
先生「…できたら、そのようでありたいと考えてるわけです」
太田「そのようでありたいということは、先生、それになれてないわけですね? そりゃ先生、可哀そうだ」
先生「……」
太田「だってオレなんか、もう世界市民だもん。オレくらいいい加減じゃないと、世界市民なんてなれないって」
バカも休み休み言え。まあ正直、子安先生は「日本人」であって「世界市民」ではないと思うが、「可哀そう」とは何事だ。どうして太田ごときに、そのような事を言われなければならないかと相当腹がたった。
「日本」にこだわってる太田が「世界市民」などであるはずもなく、またそれは帰属意識をもたないということや、無責任であるということとは全く違う。
「世界」あるいは地球人であることに帰属意識を持ち、それに対して「責任」を持てる構成員であるということが世界市民という事である。ナショナルのレベルの視野、帰属、利益意識しかもたない人間では、そんなものになりようはないのだ。
しかし先生が呆れて怒ってしまって、途中からあまり話をされなかったのが残念だった。と、同時に、全く自分の仕事の知らない初対面の相手に、子安先生くらい入り組んだ仕事をしてるその意義、意味あいを伝えるのはとても難しいとも思った一件だった。
自分だったら、太田にどういう言い方で話をするだろうかと、それを非常に感じた。何かを人に伝えるというのは、どんな事であれ大変難しいことである。