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社会と人間  不平等条約


 不平等条約といえば、非常に抑圧的なイメージがする。しかし不平等条約というのはただ抑圧的な機能を果たしていただけではなく、それ以外にもその不平等条件を押し付けられる側にも意味があったことが判っている。

 不平等条約というのは主に三つの内容を指しており、それは領事裁判権の承認、関税自主権の制限、そして片務的最恵国待遇などである。簡単に言えば自国の法律で裁判を受ける権利、その国に関税の決定をさせない権利、そしてその国から優遇措置を受ける権利である。内容はともかくとして注目するべきは、この「条約」が、実はその国を植民地の運命から守ることにもなったという事実である。
 「条約」を結ぶということは、その政体がその地域一帯に対してその条約を守らせるだけの政治力を有しているという事を前提にしている。それはヨーロッパのような近代法とは違うかもしれないが、法律があり、それを守らせる政権が存在することを意味する。つまり、そこに「主権国家」が存在するということを認めることなのである。

 当時のヨーロッパ列強の間では、一つのルールがあった。それはいかなる国も、「主権国家」は簡単に併合したり植民地にしてはいけないというルールである。簡単に言えば日本はこのために植民地にされなかったが、東南アジアではそうではなかったということである。
 日本の場合、各国は日本という新しい市場を狙っていた。しかしそこで他の国に出し抜かれては困る。そこで日本と「条約」を結び、日本を「主権国家」と見なすことで、列強の他の国に日本を占有されないようにという牽制の動きが働いた。それが日本が一方的に植民地にされず、不平等条約という形で開国することになった経緯である。

 列強としては無論、独占できるなら独占市場にしたほうがいいという意図があった。しかしそれが出来ないのなら、列強の各国が自由に参入できる市場として開放されればよい、という発想である。
 ちなみに中国もまた「条約」を結んだ国だが、前に書いた天津条約のとおりその条件は日本に比べれば劣悪なものだった。しかしそれでも東南アジア各国に比べれば、まだ「主権国家」を認められ植民地支配を受けなかったという事もできる。

 また治外法権を認める領事裁判権も、一方的に「ヨーロッパ人がその国の法律に従わなくていい権利」ではなかった。基本的にはヨーロッパ人も「主権国家」に踏み入っている以上、その国の法律を守らなければいけない。しかし文化や法律の違いから、ヨーロッパ人が近代法で守られてる人権や財産を保護されない可能性がある。
 領事裁判権とは、そのような際にヨーロッパ人が不利益を被らないための、現地法律との緩衝材だったのである。たとえば生麦事件のときにイギリス人が大名行列に馬を乗り入れて切り殺されている。これは明らかに文化的認識の違いからきた誤解から生じた事件だったのだが、こういうときに本来は領事裁判権が必要だったのである。

 ヨーロッパ人は武力を背景にしてはいたが、必ずしも衝突を望んでたわけではない。むしろ衝突は可能な限り避けようとした痕跡がある。
 
 例えば東アジアで拠点になったのは香港、上海、横浜の三港だったが、列強はここに居留地を作るとき、なるべく既存の都市から外れた場所や役に立たない土地を選んでいる。
 香港は現地民には役に立たないと思われていた香港島を買い取っているし、上海は既存の都市から離れた湿地帯だった。また横浜も栄えていた神奈川に対して、横浜村と呼ばれてた一寒村だった。そういう場所を選ぶことで、列強は可能な限り現地との衝突は避ける方針だったのである。

 しかしこのような配慮も、無論、「主権国家」と見なされた各国においてはなされた配慮である。植民地ではまた別である。日本は極東にあったがために、各国の共通の標的となった。そのことが逆に、幸いしたといえるかもしれないのである。
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