忍者ブログ

成婚率が重要!結婚相談所選び

武術散策  強くなりたい?



 今日、知り合いの薬剤師さんに頼まれて駅まで車に乗せていく途中、偶然、その人が大学時代には和道流の空手部だったことを知った。二枚目の秀才な感じのイケメンなので、全然そういう印象もなく、大分驚いた。

 そんな事で武術談義など道々していたのだが、薬剤師さんは「もう十年経ってるから全然だね」という。なるほど…そうなんだ、と思った。僕は先日の交流会の事を少しだけ話し、色々な人と会って面白かったと話した。すると薬剤師さんが「そうかあ、ハルカ君は強くなりたいんだねえ」と言った。

(強くなりたい?)

 正直、違和感のある言葉だったので「いや…ちょっと違いますね」と僕は言った。「え? 強くなりたいんじゃないの?」と薬剤師さん。「そうですね、そういう事は目指してないようです」と僕は自分でも少し考えながらまた言った。

 話は駅に到着してそれきりになったのだが、僕は自分の感情として、本当に「強くなりたい」という感情がないのに少し驚いていた。

 そもそも僕は「武術は制圧技術ではなく、護身のため」だとか、「強いことと護身できることとは別である」とか、そんな事ばかり言っている。しかしその背後に、「他人より強くなりたい」という気持ちがなかったと言えば嘘になるだろう。

 しかしどうも最近、少し感覚が変わってきた。変な話だが、僕は本当に「強い」人からしたら充分「弱い」かもしれないが、一般の人を恫喝したり撲殺したり、絞殺死させるくらいには「強く」なっているのだ。それは別段、威張るほどのことではなくて、少し武術をやった人なら誰もがそうだ。

 そういう人たちの集まるなかで制約を設けて競技をし、そのなかで「強さ」を競うのも悪くはないだろう。けれどそのような「強さ」が、真に大事なものを守れる術だろうか? 
 それは武器を手にした大勢に囲まれて、なお護身できる強さだろうか。強圧的な権力や、多勢の威を借りて同調を暗に脅迫してくる同質主義に対して、精神的自律を守れる術だろうか。その一瞬の呼吸一つで、世界を止めるほどの境地に行った者同士が戦うときの、その達人たる境位だろうか。

 僕は今は、もっと研ぎ澄まされた世界を求めている。もっと感覚を研ぎ澄まし、高い領域に近付くこと…もっと広く視野を持ち、自分の「自由度」を高めること。そういう事だけが、純粋に気持ちの中にある自分に気づく。
 交流会という「他者」との出会いは、僕にその気持ちを再確認させてくれた。その複雑かつ豊穣な経験は、「強い」という単純な言葉には還元できない。そしてその問題の難しさを、生涯をかけた「武術家」でなくなった人に語るには、時間が少なすぎた。 
PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R