28年間生きてきて、こうあってほしいと望んだ結果、そうなったことって本当に少ない。
偶然が味方して、なんとか目標をクリアできたけど、それは、自分自身の力じゃなく、周りの力だったと今になって思う。
数日前、兄と話していたのだが、努力して涙を流したことってある?って聞いたら、大学受験が最後だったような気がするって言われた。
自分がどうなのか?って考えると、まず、最初、吹奏楽のコンクールで賞を取ったことと公立の高校に受かったこと、次に、大学受験は失敗したけど、その中で、自分の能力を最大限に引き上げたこと。大したタイムじゃないけど、水泳部で、一応、自己新記録を出して引退した。っで、浪人して行くような大学だったから、どうせなら、教員免許を取ってやろうと思って、取ったこと、そして、1年だけ中学の先生を経験できて、その後、自転車で色んな所に行けるようになった。
自分の能力の限界だと思っていたのに、やればやるほど、どんどんうまくなって、なんとかなって、やればできるんだって思い始めて、今に至る。
それで、中学、高校のとき、表彰されるときに思ったんだ。
許されたって。
いつも自分を責めて、なんとかやらなきゃ、引き伸ばさないといけない。考えなきゃいけない。分からないといけないって必死になって、来る日も来る日も勉強していたんだけど、自分を変えるためにたくさんのことをしていたら、抱える荷物が重たくなって、なかなか結果が出なくなっていった。
けど、考えた時間や悩んだ時間、迷った時間、傷ついた時間って後になってから、思い起こしてみると、それがために、何かが分かるようになってきたって思う。
頭の良い人になりたいって思って、勉強していたけど、ものすごく神経質で、こうじゃなければいけないに縛られて、たった一つの答えを導き出すための方法をひたすら考えてる。
その現象が起こるための条件をひたすら考えている。
だから、必然が起こる。
ああすればこうなるっていう具体的な方法を。
何かを達成したいって思ったら、今以上に頑張らないとそこにはたどり着けない。
でも、思うんだけど、そうなっているんだとしたら、どう今あるべきなんだ?って考えるようになる。
もし、自分が○○であったら、どうなっていることが、そうなんだ?ってな具合に。
逆算しながら、その方向に持って行く。
行き当たりばったりじゃなくて、自分がもし、それをしているとしたら、それは、今、どうなっていることなんだ?って。
こうなりたい、ああなりたいっていう気持ちがあって、それをしている状態だとしたら、今の自分には何が足りない?って考えながら、進んで行く。だから、成長するんだろう。
ビジョンが明確でないのなら、それは、あくまでただの幻想にしか過ぎないんだと思う。
思いをかたちに。夢を現実に。
そのために、今、何ができますか?