学校に行っていたときより、社会に出てからの方が厳しいって感じる。
でも、学校に通っていたときは、先生という人たちがその場を治めていてくれたから、なんとか生きてこれた。
部活動で、かけがえのない経験もさせてもらったし、普段、会えない人たちにも会わせてもらった。
普通に生きてて、絶好の機会なんてそうそう巡り合えるものじゃない。だからこそ、あの時間は貴重なものだったなと今、振り返れば、とても大切な時間だったように思う。
それで、決められたコースを大人たちの指示通りに動いていたが、やはり、大人たちも乗り越えられない問題にも出会うことがあって、その悲しみや辛さ、困難、痛みを感じると、今まで大人にされたことを恨むより、許す気持ちの方が大きくなってきた。
そうだよな、人間だからできることもできないこともある。
でも、立ち向かわないといけない瞬間が出てきて、ダメでもなんでも明日は来る。
うまくいかない日常もあるだろう。どん底に落とされることもあるだろう。
何をしたら良いのか分からない彷徨った時間が、確かなことを見つけ出すことに繋がった時間になった。
そんなの当たり前でしょって言う前に、何が当たり前で当たり前じゃないのか、考えるべきだった。
そういうことって誰かに教えてもらえる機会って本当に少ない。
だから、昔の人たちが遺したものを読んで行こうって思った。
最初は見つからない。
これだって思える教えなんてない。
でも、誰かと誰かとの人間関係の中で、見つけたこと、気付けたこと、知りえたことっていうのは、私自身のことであって、他の誰でもない。
うまくいかないからこそ、探し出そうと思った。探し出そうとしていたから、自然と集まってきた。
見えなかったことが見えてきた。
本当はそこにあるのに、気付けないでいることがある。
実は、幸せで満ち溢れていたのに、それを当たり前だと言ったのは、誰だったっけ。
あるのに、ないことにしていること、絶対ある。
だから、うまくいくことなんかないって最初から思っていれば良い。そしたら、いつも素直でいられる。謙虚でいられると思う。
処世訓、集めて、自分の肥やしにしていこうと思う。
大切なのは、すぐそばにある。自分の心に問うてみて、それだと思ったことがあるのなら、ちゃんと書き留めておくことだ。きっとまたいずれ、その言葉が自分を助けてくれるかけがえのないものになるだろうから。