もし、今の自分をより良い自分にしたいのなら、自分より頑張っている人たちのマネをすれば、良い。
そしたら、同じ気持ちが味わえる。
どれだけしんどいか、どれだけの痛みがそこにあるのか、それをやってみないと分からない。
だから、せめて、弱い人たちの気持ちが分かるようにあえて、厳しい選択をして生きてきたけど、それだけじゃあ、どうにもならなくなって、強い人たちの気持ちも分からなきゃ、バランスが取りづらくなってきた。
上に立つ人たちの気持ちやその人たちの声に従う人たちの気持ちを知ると、なんとなくバランスが取れてきて、きっとこういうことを思っているんだろうなって思う。
きっとそういうことを思うから、こういうことを言うんだろうなってことが見えてくる。
弱い人たちには、弱い人たちの何か事情があり、強い人たちには、その人を強くするための何か事情があったんだろう。
だから、弱くても、強くても、その両方がなくてはならないものなんだって思う。
どちらかが一方で偏ると、どっかで、ダメになるし、だからと言って、こうじゃなきゃいけないって考え方もおかしいって思う。
バランスなんだよな。
人間関係で、摩擦が生じるときがある。
どうすれば、良いんだ!って悩むこともある。
考えてみて、やろうと思うけど、やってから後悔するのはしんどいし、だからと言って、やらなかったら、いつ、その問題が目の前に現れるのかも分からない。
考えれば考えるほど、どつぼにはまる。
だから、せめて、その人の気持ちを汲み取れるようになってから言いたい。
私はこうしたいんだが、ダメかな?って。
弱々しい本音を、泣き出しそうな声で、振り絞って出したその声だけは、どうか届いてほしいと真に願う。
誰かに何かを指図できるほど、自分はできた人間か?と考えてみたとき、弱々しい自分しか出てこないけど、そんな自分が誰かに指図できるようになるためには、やっぱり、本気で向き合うしかないんだろう。
かけがえのない時間、かけがえのない経験、その一つ一つの思いがきっと誰かに伝わるように願いながら本気で歩み寄っていけたら良いなって思う。
一秒、一秒、無駄になんかしたくないからこそ、本気で向き合わなきゃ得られないことがあるってことだけは分かる。
だって、逃げていたって、同じようなことに遭遇するんだから、結局は逃れられないんだろう。
誰かと絆を深く結ぶためには、相手を納得させられるだけのことをしなくちゃいけない。それができていないのに、誰かとセッションするなんてことはできない。
どこで、どんな風に繋がるのかなんて分からないけど、真剣に生きた分だけ、返ってくるんなら、やっぱり、どんなことでも、受け入れるしかないんだろう。