その根源にあるものは、劣等感なのかもしれません。
数日前に、アドラー心理学をテーマにしたテレビ番組を観た。
アドラーは、サーカスなどで超人的なパフォーマンスをする人々に出会い、彼らの共通点として、幼い頃、病弱だったことを挙げた。
その根源にあるのは、もしかすると、劣等感じゃないのか?と彼は考え出します。
私は、今の現状に違和感を覚え、何かやらなくちゃって思っていて、どうしたら良いのか、その方法も確立していない状態で、悩んでいました。
どこに行っても、誰がやっても、正解だという方法は、様々な職場を見て、確立されていないことが確かなことだった。
だから、右に行けば、左側からの人たちから攻められ、左側に行けば、右側の人たちに攻められる。
どうしたものかと考えていると、もうこれは、徹底的に止まったものを相手にするしかないって思いました。
人によってやり方が違うことがないように、誰がやってもそうなるものって、勉強しかない。
1+1=2ってもう決められているんだから、後はそれを暗唱するだけ。
算数や数学は確実にそうだっていう答えが決まっているから、安心して取り組める。
理系科目は、ちゃんと理論に基づいて、問題が作られているから、ほんの少しでも、ずれたら、間違うけど、もし、ちゃんとした筋道を追っていけば、正解は自然に現れる。
それが好きだった。
そして、英語も同じ。
イコール関係、対立関係、因果関係をつかみ、語彙力を増やし、ちゃんとルールさえ覚えて行けば、解ける。
覚える量が圧倒的に多いから、時間はかかるけど、粘り強くやりさえすれば、なんとかなる科目だと思っている。
ものがあるだけ言葉が増えるように、何かがあるだけ言葉になる。
自分の感情や気持ち、性格、行動、思考、そのすべてが、自分になっていくんだろう。
話を元に戻そう。
劣等感
聞きなれない言葉だ。
劣るに等しい感覚
誰かと比べて、上か下かを決めつけてしまう感覚
誰が上で誰が下で、自分はどこにいるのかを他人を通して観る。
なんで、小学校も、中学校も、高校も、大学も行けたんだ?って考えると、過ぎ去ってみれば分かるが、あの時、絶対的な権力が親にあったからだ。
親の支配下に置かれているから、親の言うことはなんでもしなくちゃいけない。絶対的支配だろう。
それがなければ、生活がままならないんだから、やるしか選択肢がなかったんだ。
そう思うと、社会人になって、自分が生活の選択をできるようになったら、あの時の支配を懐かしく思い、実は守られていたんだと思うと、カオスのような感情が芽生える。
檻の中に入れられていた方が楽だったんだって。
自由だということは、それだけ危険が伴う。
守られている生活っていうのは、毎日、同じ場所に行けば、ご飯が食べられるけど、自由だということは、毎日、同じ場所に行ったとしても、獲物が捕らえられない可能性が出てくる。
そうすれば良いなんていう絶対的な処世術なんてない。
だから、苦しむ。
でも、たぶん、誰にでもあると思う。
小さい頃から慣れ親しんだ人たちがやってくれた思いっていうのが、お腹の中にあって、それが根底にないと人は生きていけないんじゃないか?って思う。
嫌なこともあるし、辛いこともある、泣き出してしまいたいことや逃げ出してしまいたいことだってある。
それを考えると、今までだってそうだったように、これからも同じようなことが起こったとしても耐えられるんじゃないか?って思う。
劣等感から始まったけど、実はもうそれを越えられる力は誰もが持っているんじゃないか?
もしくは、何か困難をするたびに、強くなっていく可能性だってある。
その中で身に着ける強さだってあるんじゃないか?とすら思う。
教えてもらったことがある。