昨日が今日の続き、今日が明日の続き、そして、その続きを今の自分がやっていくとしたら、私は何になりたいだろう。
少しずつ思い出してきたことがある。
知らなきゃいけないことを。
何から書こうか。
私の人を見る目っていうのは、おそらく間違っていなくて、昔から好きになる人って言ったら、だいたいがかっこいい人だった。
何がかっこいいか。
自分より圧倒的に実力を持っている人たちに惹かれる。
だけど、やっぱり、自分とは違うから、なかなかその人たちが簡単にしているようなことでも、自分にはできないことが多い。
不器用なんだろう。
でも、憧れだけは人一倍持ってて、かっこいい、ああいう風になれたらって思って、積極的に近づこうと努力した時間は確かにある。
その分、その人たちに近づいたけど、やっぱり、対等にはなれなかった。
能力だけ見てもそうだ。この人、すごい、力あるなって思っている人たちにいくら憧れを持っていたとしても、対等にはなれない。
だけど、一個だけ同じ熱量のものがあると、それに引き寄せられるかのように、出会う縁がある。
だから、一個だけ確かなことを書くと、凡人である自分ができることは、思い切りの負を背負うことだ。
同じにはなれない。でも、同じような痛みを感じることができる。
同じ肉体ではないし、同じ環境にいたわけではない。同じじゃないからこそ、同じ部分で引き寄せられる縁があるって思う。
そして、さらに、思うことがある。
私には、戦争で死んでいった人の気持ちは分からないけど、少しでも、そういう人たちがいた未来を生きている責任っていうものはある。
誰かが死んだ過去を今、自分たちが生きているってことは、後は任せたってその人たちが思っているから、生まれさせてくれたんだと思う。後の世はお前たちが作っていけってな具合で。
そういう人たちに認めてもらうにはやっぱり、自分の心や態度、行動を今まで以上に知ってもらう必要がある。
だから、過去を知ることは、今を知ることに繋がっていくんだと思う。
知らなきゃいけないことを忘れてきたから、今が分からなくなる。分かるところまで戻れば、分かるようになるのに。
もし、本当に、すごい人になりたかったら、過去を振り返れば良い。なぜなら、その人の死にざまがそこに記されているから。
自分の死に方は自分で決める。自分がやってきたことで決められるから。
大学受験の時、なんで、こんな大学行かなきゃいけないんだろうって思ってた。
でも、教員免許を取る大学で一番近かったのはそこだった。
父がその願書を取りに行かなければ、そういう経験はできなかっただろう。
今、思えば、これは導かれたんだって思う。
その後、やっぱり、出会わないといけない人に出会っているし、そしてさらに、もっと厳密に言うと、会うべくして会わされている人たちがいる。
道が自然と出来上がっていったんだ。
それで、それから、もっと、色んな人たちと出会って、知って、話して、お別れして、何度もそういうことを繰り返していたら、自分にとっての大切なことが分かってきた。
同じことを前世で繰り返すって聞いたけど、おそらく、私の後ろについている人っていうのは、過去に傷を負った人たちだろう。
傷ついている人を見ると、ものすごく悲しいし、どうにか助けてあげたいって思う。心の底から、どうにかならないかって思う瞬間が出てくる。
だから、自然と、しんどい道を自分で選んで、歩いて行ってる。
その先に誰がいるのか分からないけど、せめて、いっしょに生きている間だけは、もっと楽しい時間を提供できたら良いなって心の底から思う。
それはおそらく、たくさんの死を見つめてきたからだろう。
幽霊やお化け、歴史、寺、神社、祠など小さい頃から気になって仕方なかった。
月を観ると絶対泣くし、細胞の一つ一つに何かが埋め込まれているのかって思うくらい情緒不安定になる。
なりたくないのに、ならざるを得ないみたいな。
でも、そういう風に、誰かを何かを思う気持ちがどんどん育っていくと、気付けなかったことに気付けるようになる。
できなかったこと、不可能に近かったことも、状況がそうさせるように、どんどん強くしてくれる。
うまくいかないことなんてたくさんあるけど、その中にいるからこそ、もらえる幸福があると思う。
だから、過去は現在の続き、現在は未来の続き、その未来に自分がどうありたいか、もしくはどうあっているか想像したら良いと思う。
きっとそうなるように無意識に行動し始めるから。
あなたの思い、ちゃんと、聞こえてるよってな具合で、うまくいくだろう。
どこまでいけるかなんて、誰にも分からないけど、ただ一つ確かなことは、あなたの心がけ次第で世界はいかようにも変わる。
それだけは覚えておいた方が良い。