4年が過ぎた。
初めはできるかどうかも分からない環境に飛び込んで、味方もいない状態でどこまで自分自身の力で歩いて行けるか分からなかった。
もし、例えば、誰かに甘えて今でも誰かのせいにし続けていたらと思うとぞっとする。
あいつのせいで、こうなったとか、そういうの、もういい加減にしたくて、実家を飛び出した。
自分の決断に迷いがなかったわけじゃない。
でも、あまりに、シンクロニシティが起こるもんだから、これは、自分の直感に頼って、進むしかないって思って、進んだ。
そしたら、あれよ、あれよと言う間に、4年間が過ぎた。
辛いこともあったし、苦しいこともあった。逃げ出しくなるような思いに駆られるようなこともあったし、もうダメかって思った瞬間も数えきれないほどある。
でも、ここまで来れたのは、その場所を必死で守ってくれた人がいたから。
仕事をくれた人がいたからだろう。
どこの馬の骨かも分からない誰かを採用するなんて、自分が事業主だったらなおさら、こわい。
こいつ、なんなんだ?って思うから。
それで、そんな自分でもなんとかやってこれたのは、おそらく、私をサポートしてくれる人がいたから。
頑張れよって言ってくれた人がいたから、なんとかなった。
っで、そんな私ができるようになっていったことをあげると、こんな感じ。
勉強が好きじゃない自分が、簿記の勉強をやり出したりした。
そして、普段、料理が好きじゃないのに、今では、一年の半分以上は、料理してる。
唐揚げだって作れるし、シフォンケーキだって焼く。
サンドイッチだって、どんなけ作るんだ?っていうくらい作る。
サラダも。
家事は一通り覚えた。。
じゃあ、次は何をする?って考えても、あまり、良いものが思い浮かばない。
水泳だってしたし、自転車なら、仕事と同様、一年の半分以上はこいでる。
行きたいと思った場所には、行けているし、今度は何が望みなんだ?って考えるとあまり出てこない。
ただ自分の中にある何かが反応した時、いきなり、遠出をする。
そうだ、あそこに行こう。そして、その景色を観よう。本当に、、行き当たりばったり。
最近、思う。
自分の中をゼロにすると、ふと、やろうと思っていたことが自分に乗り移り、その日のうちに決行する。
今、やろうと思ったから、やろう。本当にそれだけ。
今まで、散々考えて行動してた。でも、なんか、どうでも良くなった。
考えて、行動すると、それが無駄になったとき、バカみたいって思うから。
なんで、考えてしまったんだ。どうせ、こんな結果になるじゃん。考え出すと、あれこれ、悩む。
例えば、病気になったらどうしよう。ケガしたらどうしよう。熱中症になったら?さらわれたら?んなの、分かんないじゃん。
やったからそうなったのかもしれないし、やっていなくても、そうなっていたかもしれないじゃん。
決断は一つなんだよ。
その先に何があるのかなんて、やってからしか言えないし、分からないことだらけで、しょうがないんだ。
だから、とりあえず、ここからできることを積み重ねるしかない。
行ってみてやってみて困ってみて初めて考え出す。
それで十分だと思う。