子供の頃は、親の言うことが絶対で、中学生、高校生になったら、先生や先輩の言うことが絶対だった。
大学生になると、人間関係の幅が広がり、どんどん自分の知らない世界が広がっていく。
社会人になると、それはもはや未知数。
そんな風に、幅広い人間関係の中で、様々なことを知る中、分かってきたことがある。
それは、逆境の捉え方。
中学生の頃は、母親がいなくなって、どうしようもない気持ちを抑えながら必死で生きてきたけど、実はこれって早くに自立をさせるための良い機会だったんだと思う。
なぜなら、その悲しみを知らない人は、これから悲しむことになるから。
自立できていない自分の未熟な部分を誰かのせいにしてみたり、喚いてみたり、不幸だなんて思ってみたり。
誰にでも来ること、自然なことなのに、なぜか、自分だけは特別で、そんな自分に特別なことをしてほしいと相手に求めるようになる。
誰にでもあるからこそ、時間が限られているからこそ、せめて、自分の母親を大切にしてほしいって本気で思う。
物を買うにせよ、思い出を作るにせよ、相手の目に自分がどのように映っているのか考えながら、生きていてほしい。
思考力を使うとどうしても、すり減る部分が出てくる。今までの日常とは違う痛さや苦しさ、しんどさが出てくる。
でも、そんな風に誰かを想うことがきっとまた誰かを繋ぐから、せめて、その絆だけは大切にしてほしい。
どちらが上とか下とか弱いとか強いとかじゃなくて、調和することが大事。
もし、例えば、まだ生きていて、いがみ合うような仲になっているなら、その方が嫌だ。
なら、自分は身を引いて、どこへ行っても、なんとかやっていけるだけの自分を作って生きたいって思う。
あいつが悪いだとか、こいつが悪いだとか、誰かを憎む気持ちを持つなんて簡単。誰かのせいにするのも、本来あって普通のこと、だからこそ、そんな気持ちを持たないようにすることが、修行なんだろう。
頑張るってことなんだろう。
たくさんの大人に囲まれながら生きていると、どうしても、自分の納得できないことに出会う。
あいつが悪い、こいつが悪いって思う気持ちが出てくる。
本気で、腹が立つことだってある。
でも、なんか、そういうものに振り回されるより、自分が頑張れるだけ頑張って、相手が追い付けないくらい高いレベルになれば、そういう思いもなくなるんじゃないか?って思う。
実は、嫌な出来事ってあってほしくないことだけど、逆境であればあるほど、自分の身が磨かれて、行動が磨かれて、思考が磨かれる。
順境であればあるほど、自分のダメな部分が磨かれないわけだから、何も考えない、自分自身を鍛えることもしない、ダメであることを忘れて、生きているから、結局は、ダメになりやすいんじゃないか?って思う。