「かっこいい」ってみんな、どんなイメージ持ってる?
「こわい」と思ったときに助けてくれるヒーローのことを「かっこいい」って思ってたり、自分ができないことをいとも簡単にやってしまう人のことを「かっこいい」って思ってたりするんじゃないかな?
そういう人を主人公にしたいし、そういう人たちの裏、つまり、心を知りたいって実は思っていたりするんじゃないか?それが、マンガになったり、アニメになったり、ドラマになったり、映画になったりするんじゃないか?
昔はそれほど、記録する技術がなかったから、こんなに情報があふれる時代になった。
知らないことをかんたんに知れる。ネットでは嘘も本当も両方あるから、取捨選択しないと、自分にとっての本当が分からなくなる。
自分にとっての良いと思うものを選び、自分にとっての悪いと思うものを排除する。
その中で、生きれたら、良いんだけど、そういうわけにはいかない。
だって、生きてたら、自分にとっての嫌なものが次々と襲い来るし、それに対処する術を知らなかったら、溺れていくだけだ。
そういう時にじゃあ、どうするか?って考えたら、一番最初に言った自分にとって「かっこいい」の話になる。
どんな人が自分にとってかっこいいですか?どうしたらそういう風に自分を持って行くことができますか?ビジョンがなければ、どうしたいのかも分からないし、どうすれば良いのかも分からない。
ただ来る日、来る日を一生懸命生きて、気付いたら、もう年老いてたってこと絶対ある。
そして、ふと、自分の過去を振り返ったとき、やりたかったことをやれなかった自分に出会うこともあるだろう。したかったことができなかったこと、きっとある。
じゃあ、どうすれば、後悔しない生き方ができるのか?と考えたとき、脚本を自分で作ってこなかったと気付く。
自分にとって良い、それが自分にとってふさわしいと思うような行動を人間はやる。
つまり、自分を卑下している人っていうのは、自分の中で折り合いがついていない。
かっこいいと思える状態を作る作業をあらゆる理由を作って、ないことにしてきた。
そこに問題がある。
夢とか希望とか持ってもなあって持っても良いのに、持ってはいけないことにしているのは誰だ?って話。
どうせ生きてんだ。どうせ死ぬんだ。
じゃあ、そのどうせの間にある感情を大切にしようよ。
ベクトルが変わる瞬間、きっと何かが自分の中で起こっている。
何かを意識してはいけないという意識が働いている。
大人たちはそんなもの、持ってても無駄だよ。いらないよ。さっさと現実見なって言う。
確かにそういう部分もある。だが、しかし、そういう部分を持たなくても良いって思えるところも持ってて良いんじゃないか?って思う。
大人の言う現実だけじゃ、つまんないよ。
って子供心を否定したくない自分が出てきたら、少し大人になってきたって思っても良いかもしれない。
私は、まだ成長過程で誰かに何かを与えるなんて大人の役目なんてできないけど、ただ、人の役に立とうとか、困っていたら、助けてあげられる人間になろうってどっかで思っている。
実際、できるかどうかは別にして。
けど、気持ちが成熟して、そこに行動が伴ったら、そんなに難しい話ではないと思うんだ。
そこに至るまでの過程が大事だって思うから。
できなかったことができるようになる過程がおもしろいんであって、ただ口ばっかりで実際体を動かそうとしてないときほど、病んでいるし、誰かに助けてとか、助けてほしいって思っている。
これは実体験済み。
心の中で何か大きなことが起きてから、ようやく体が追い付く。
体が追い付いてきたら、やっと心の中でこれで良いんだって思って、また落ち着く。
ある一定のレベルにするには、らせん階段を上るように、一気にレベルをあげることなんて無理。
例えば、今までできなかったことをできるようにするために、一生けん命頑張った。
がんばったっていうのは、行動を増やしたってこと。
その分の成果はとりあえず、表れるが、その行動をやめた瞬間、また元の位置に戻る。
だから、頑張ったという意識があるときは、まだ成熟しきっていない。
日常生活に取り込むくらいの勢いがないとレベルを上げるなんてできない。
お腹がすいたら、ご飯を食べるように、気持ちの上である一定の飢餓状態がなければ、人は自分自身を変えようとはしない。
つまり、そのままでもなんとかやっていけてる人っていうのは、怠けるんだよ。
だって、どうせ、なんにもしなくても助けてくれるんでしょ?って誰かを頼りにしているから。
そういうときの人間関係ってやばい。
破綻するようになってる。
だって、乗り越えなきゃいけないところを乗り越えずにそのままで来ているから。
同じようなことが起こったとき、また逃げちゃうからね。自分の思い通りの人生じゃない!って言って。
そんなことが起こり得る可能性なんてほぼないと思っていた方が良い。
あらゆる試練を乗り越えてようやく到達できるレベルがあるのに、なぜ、自分自身に原因がないと思い込んでいるのか?そこに焦点を当ててほしい。
誰かじゃなくて、自分に。
苦しいに決まってる。たくさんあると思っていたのに、これっぽっちしかないって気付いたら余計。
でも、そこを乗り越えて、努力しだすと、気付いたら、元の自分には戻れない自分がいるって気付く。
ないと思っていた可能性がいつの間にかあることになって、次のステージに上がる。
だから、自分の可能性を信じろ。自分の舵を自分で取れって言われるんだと思う。
一人一人条件が違うし、育ててくれた親も教育も生きてきた環境も全部違う。
やってきたこと、思ってきたこと、すべて違うんだよ。
だから、自分の人生に自分がそのなりたかった自分に対して今の自分がなんて声をかけてあげれば良いのか考えた方が良い。
それをきっと可能性を広げるだとか、夢であった自分を今ある自分にしていく唯一の方法だと思う。
どうしたらよい?って他人に聞くのではなくどうしたらできるようになるのか?それを考えることが、自分を育てる唯一の答えなんじゃないか?って思う。
そこに誰かが力を貸してくれたり、そういう背景を知ってるからこそ、他人にも寛容になれるんじゃないか?
知らなきゃいけない大切な感情をすっとばして、悩む時間より、知っていた方が良いことがたくさんあると思うんだ。
経験からでしか分からなかったこと。出会った人たちから教えてもらったこと。自分が決めた道を自分でなんとかしようともがいたこと。
それらすべてがあとあとになって、良かったんだって思える。
だって、悩んだ経験がない人に、悩むことによって生じた痛みとかをいくら口で説明しても、伝わらないから。
同じことを経験してても、同じであることなんてない。
だから、自分が底辺だと思っていることをやれって思うんだ。
だって、じゃないと、そのことから学べるはずのことが学べないようになってくるから。
自分の器を広げたいってかんたんに言うけど、そんなの無理だよな。
だって、知らなきゃいけないことを知らないんだから。
みんな、初めはこどもだったんだ。年齢だけ重ねても、大人になってないやつがいかに多いことか。
そこを知ってほしい。
泣きながら、どうにかしたいって思ったあの日をもう一度思い出してみてほしい。
そしたら、自分の中にある何かが反応して、出会える人も変わってくるから。