思うと考えるって何が違うの?って昔、父に聞いたことがある。
私はその時の内容をよく覚えていない。
ただそのことについて考えてみたいと思って書く。
言葉がある。
世界は言葉がなければ、混沌に包まれている。
天と地もごちゃ混ぜ。月と太陽、男と女も子供も全部同じものとして捉えることになる。
水も火も同じだとしたら、同じように扱ってしまって良いのだろうか?
そんな訳ない。
水に触れると冷たいって感じる。火に触れると熱いって感じる。
もうすでに別のものとして扱われる。
じゃあ、考えるっていったい何なんだ?って考えたら、つまり、同じもの探しだし、対になるもの探しだし、因果関係を探る行為だって私は少なくとも思っている。
人の体の共通点をあげて、女と名付け、その対として男と名付けた。
男と女である以前の姿を子供と言ったり、時代に名前をつけて幼少期と言った。
その時期は、男も女も関係なくて、大人から見ればただの子供だった。
子供だった、赤ちゃんだった、母親のお腹の中にいたのに、どうして、こんなにも違った生き方をする生き物が増えたんだろうか?
それは、集団で生活をしてきた名残りだと思う。
生きているとお腹がすく。獲物を捕まえるために狩りに出たが、男性の方が足が速いので、女よりも狩猟がうまかった。女は仕方なく男から餌をもらう。
そういう集団が自然とできた。
それを家族と言ったんだろう。
家族の中で役割が分担される。
男は狩猟に女はそれを調理する。そして、やがて子供を産み、育てる。
子供には子供の役割が、それぞれにあった。
ごく自然なもの。
でも、その秩序が時として崩壊することもある。
誰かがいなくなったことによってできる穴がある。
例えば、お父さんが亡くなったとか仕事をクビになったとか、お母さんが病気になって入院しているとか、家族が家族として機能しない場合がある。
そういうとき、子供はどうやって生きれば良いんだろうか?
味方のいない子供はどうやってご飯を食べれば良いのだろうか?
その日一日をどう生きれば良いのだろうか?
なんて考えたら、さっさと子供なんか卒業して大人になれって大人に言われる。
行き場のない心はどこにいってしまうんだろう?
抑圧して我慢した心は何で補えば良いんだろう?
また混沌の始まり。
どうしたら良いか分からないということを考え続けているからこそ、確かなことが分かるようになるんじゃないのだろうか?
頭の上にネットを仕掛け、それに関する情報を拾い集める。
そして、情報を取捨選択し、確かなものを見つける。
これだ。欲しかったのは誰も分からなかった自分自身を変える方法だったんだってようやく分かる。
つまり、考えてないと、引っかからない。
知ろうとしていないと見過ごしてしまう。
悩んでいるからこそ、見つけられるんじゃないか?
だったら、考えるという行為、悩むという行為は意味があるんじゃないか?
だって、自分を変えようとしたからずっと探し求めていたんでしょ?
知りたいって変わりたいって思ったから、そうしようと思ったんでしょ?
自分の声に耳を傾けてあげたから、そういうことが分かるようになったんでしょ?
自分に問うたから、答えがもらえたんでしょ?だったら、問わないままいくなんて自分の人生を自分でつくっているとは言えないだろ。
自分より力のあるものがこうしろって言ったからそうしたってやっぱりおかしいんだよ。その言い訳は。
だって、お前の味方はお前しかいないんだから。
これで良いって納得のいく答えを探せば良い。
混沌から脱出したいから、言葉を作ったんだ。あなたにちゃんとメッセージを送るために。
自分以外の人にはなれない。だけど、同じ血液型、同じ誕生日、同じ職業、性別、好きな歌、嫌いな歌、匂い、人、色々ある。
同じ部分を共有して、生きてる。
だから、出会える。
同じ時間を共有した仲間をどうか守ってあげてほしい。
どうか救ってあげてほしい。
考えるってつまり、自分の受け皿を大きくするってことなんだと思う。
どうか自分以外の人のことも考えられる人になってあげてほしい。
そしたら、少しでも優しくなれると思うから。